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| J-ROCK LIVE NET > LIVE REPORT > THE YELLOW MONKEY( ザ・イエローモンキー ) |
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THE YELLOW MONKEY ( ザ・イエローモンキー) 1989年12月28日、結成。( 渋谷La.mamaのイベント"ロンドン・ブーツ・ナイト"から活動開始 )La.mama、新宿ロフトを中心に活動を行う。David Bowieなどからグラムロックの影響を受け、きらびやかな衣装に厚化粧というスタイルだった。 1992年5月、コロンビアレコードより「Romantist Taste」でメジャーデビュー。 94年、コンセプトアルバム「jaguar hard pain」の先行シングルとして「悲しきASIAN BOY」リリース。吉井和哉は丸坊主に。太平洋戦争で戦死した「jaguar」という青年が乗り移ったかのようなライヴパフォーマンスはファンの間で伝説になっている。 95年2月、4thアルバム「FOUR SEASONS」リリース。それまでと一転、ストレートでポップな楽曲は、jaguarファンの間で( 「太陽が燃えている」に引っかけ )「太陽は燃えていなかったんじゃなかったのかあああ?」と論争を呼んだ。次第に楽曲には影響を受けた日本のロックや昭和歌謡の片鱗が見え始め、ビジュアル的にもナチュラルに。 95年「JAM」で大ブレイク。その後、快調に活動を続ける。 2001年1月8日の初東京ドーム公演を最後に活動休止中だったが、2004年8月2日に解散を発表した。 メンバー Vo.吉井 和哉( LOVIN / ロビン ) 1966年10月8日生まれ。東京都北区出身。A型。 「アーグポリス」時代は、踊りながらベースを弾くベーシストで、イエローモンキー結成当初はギタリストだった。その日本人離れした妖しげな風貌とバンド名のギャップが見る者に衝撃を与える。ロシアンクォーターとの説もあり、ピンクがかった白い肌に金髪がよく似合う。186センチの長身。Mick Ronsonを慕い、ブラックバス( 釣り )をこよなく愛する。 解散後は「YOSHII LOVINSON」として活動。現在は「吉井和哉」名義に戻って活動している。 G.菊地 英昭( EMMA / エマ ) 1964年12月17日生まれ。東京都八王子市出身。O型。 ロックを聴きだしたきっかけはTVで「AEROSMITH」のJoe Pellyを見たこと。大学在学中に「killermay」を結成し、バンド人生が始まる。笑う悪魔、笑魔。いくつになっても変わらない愛くるしい笑顔と八重歯と流し目で多くの女性ファンを魅了する。クールな外見に似合わず、天然ボケの性格で、周囲を爆笑の渦に巻き込むこともしばしば。大の車好き。 解散後は吉井和哉のバックバンドなどで活動。 B.廣瀬 洋一( HEESEY / ヒーセ ) 1963年4月19日生まれ。東京都足立区出身。O型。 「KISS」に触発されて音楽を始めた。大学中退後、バンド活動開始。「16LEGS」解散後、イエローモンキーに参加。バンド最長老、ちゃきちゃきの江戸っ子。リーダー。一番ファッションにこだわりがある。手先が器用でアクセサリーを手作りすることも。趣味は買い物。 解散後は「HEESEY WITH DUDES」で活動。その後、森重樹一( ZIGGY )のバックバンドなどで活動。 Dr.菊地 英二( ANNIE / アニー ) 1967年6月6日生まれ。東京都八王子市出身。O型。 大学在学中に「killermay」でデビュー。顔は似ていないがEMMAの実の弟( EMMAが父親似、ANNIEが母親似 )。弟なのにアニー。最年少でお茶目な逸話の持ち主だが、案外しっかり者らしい。ライヴでは上半身裸で一心不乱にドラムを叩く。 解散後は河村隆一、吉川晃司のライヴサポートなどで活動。
セットリスト
( 少々記憶曖昧 ) - 第2部 -
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オープニング「メカラウロコ楽団」( 弦楽団)奏でるは「カノン」。 この曲はその昔、遠藤みちろうがカバー("カノン" ベトナム伝説 )をしていたことがあり、僕にはなじみ深い一曲。うーん、こんなところで生で聴けるなんて。
歓声昂まり、メンバー登場。「月光」が流れる中、現れた吉井和哉は赤いスーツ、赤いコート、サングラス、そして孔雀の羽。 こんなことがあっていいの!? 僕は幻を見ているの!? その後アコースティックギターを抱えたのが見えた瞬間、「追憶の銀幕」がフラッシュバック。「まさか…?」 「DRASTIC HOLIDAY」のイントロが聞こえて、体は固まり、頭の中は真っ白。真っ白にはなったけどこの瞬間は忘れられない。曲が終わってギターを置き、乱暴にサングラスを外す様にも、ドキドキする。もう目が離せない。この後、『BUNCHED BIRTH』( 多分 )から1曲。( いや、2曲かな )聞いたことのない曲なので曲名が分からない。ああ、『BUNCHED BIRTH』ライヴ前に買っておけば良かった。 「SECOND CRY」のアルペジオが流れても、頭の真っ白な僕はすぐには理解出来なかった。「FINE FINE FINE」、「A HENな飴玉」と続けざまに3曲、ちょっとCDのような展開だが、これがほんとの究極の夜か。 ジャケットの左肩を脱ぎ、娼婦気取りで踊る吉井和哉。場末の雰囲気たっぷりに「薔薇娼婦麗奈( ばらしょうふ れいな )」が始まる。「( ♪ )紫色の無知な夜空に」ここ、ちょっと歌詞飛んでいた。遅れ気味に歌うのでちゃんと次のフレーズに行けるのかちょっと心配( 余計なお世話か )。
「何だか、昔のナンバーばかり続きますが(笑)、俺達は満足しています。」というMCが入ったのもこのあたりだった気がする。ああ、僕も大満足。 うわあああああっ。 ( この時点で僕はパニック状態になった。このあとの構成の記憶は不確か。 )
会場の戸惑いと興奮を少し和らげるように、ロンドンレコーディングの話
「SLEEPLESS IMAGINATION」そして「WELCOME TO MY DOGHOUSE」。
眼下のアリーナ( 北西の2階席からはよく見える(笑))では横揺れ状態。盛り上がり最高潮。
第2部は「メカラウロコ楽団」とのジョイント。クリスマスの話になったので「MERRY X'MAS」かと期待したが、見事に(笑)裏切られ
アメリカ国歌のハミングのあと「ラブソングです。」と吉井和哉。「THE YELLOW MONKEYの曲ってほとんどラブソングじゃないか(笑)。」と思っていると「シルクスカーフに帽子のマダム」が始まった。
「武道館さんさえ、ん?武道館さんさんさえ許してくれれば、このまま3時間でも4時間でも演りたいのですが…。」というMCも入り、会場からは「演ってぇぇぇ」との声も。
ライヴに行けるだけでもありがたい( ネットで知り合った人に譲ってもらった)と思っていたこの「メカラ ウロコ・7」。ここ一連の流れを考えると、曲は新しいものが多く、ライヴも「TRUE MIND」のような感じかと思っていた。昔のナンバー、演って欲しい、聞きたい。でも天地がひっくり返ってもあり得ないだろうと言い聞かせていた。ところが……。
僕と同じような想いだった人達には、祈りが天に届いた奇蹟と言うべき一夜になったことだろう。 それが「THE YELLOW MONKEY」だ( と、後に判明する )。 1996.12.31
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